人が情報を発信できる時代になってから、情報過多から取捨選択の時代とか言われているけれど、そういうこっちゃない事になってきてる気がする。
その一昔前は「情報」が足りないので「創造」して「確認行動」をしていた。
これが、「とりあえず行動してみないと分からないから行動してみろ」の由縁なんだろうけど、今は行動する前にある程度情報確認できるようになった。そのおかげで「創造」しなくなった。
これ、どういう事かと言うと「考える力」がなくなってる。という事。
いや思考ペラペラやないか。という人が増えてる由縁というか。
A地点⇒ゴールのF地点に安全に到着せよ。
A,B,C,D,Eと経由してFへたどり着くと教えられるまたは確認する。
そうすると、もうこの行き方でインプットしておしまい。
何故ABCDEの順で行くと安全なのか?は考えないし創造もしない。
ほんじゃ、A⇒Fまで最短で到着せよ。というのに変わった時
ABCDEをダッシュしようとする。ほんで「間に合いません」となる。
逆にACDFで行こうとして大事故になる。
いや、最短ってのは少なくともここは抑えとけのルートね。
ADEFでしょ。と伝えても「ポカーン…」
ほんで説明すると「なるほど、最短はADEFなんですね。」とまた「記憶」しようとする。
そういえば、義務教育って「記憶」しか教えてないのか。
ほんじゃ「理」と「創造」っていつ教わるの?
というか教わるものなの?
教わらないで身に付いたのは「情報」が足りない時代の人間だからなの?
それとも「理」と「創造」を必要とせずに生きてこれたからなの?
この「理」と「創造」を一定の情報データを元に構築して説明しているだけの動画
「ヒロユキ」とかの切り抜き見て喜んでる人って
普段これ使ってる人からすると、それA条件の堰堤があるときだけやん。
とか思ってくだらねえとか思っても、世の中の若者は「へー」とまた「記憶」しようとして
面白がる。
「理を創造して構築して確認」するのが当たり前の時代に
それを強要される仕事をしていた人からすると
今のこの状況だと無双できちゃうわけだけだ。
物も情報もあふれ、「記憶」を基盤に行動するのが当たり前の現在、ここに気づいてない人が多い気がするなあ。という話。
「記憶」で行動するのって、頭脳労働とはいわない。
頭脳労働ができないデスクワークの人が時代に仕事を奪われるのは当たり前なのだけど
ここを理解した所で脱出手段をどうすればいいかという根本がこの「理」と「創造」だとおもうのだけど、これをどうやって実装させようかな。
というので、ずっと力を入れたい「教育事業」に取り込もうと思っている最近。
そういや昔、講師プログラムを作ってプログラムごとに出来上がる生徒の傾向分析してた事があるけど、これ活かせるかもなあ。と言う事で今年はコレを起点にサービスコンテンツ構築してみようかな。
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